結婚を機に、何もわからない京菓子の世界へ。
全くの異業種から和菓子の世界に入ることに葛藤はありましたか?
いいえ。主人とは大恋愛の末に結婚したんです。好きになった人の実家が、たまたま老舗の京菓子店だっただけで、私自身、公務員の家庭で育ちましたので、商売のことも和菓子のことも京都のこともわかっていませんでした。そんな状態だったからこそ、思い切って飛び込めたのかもしれません。無知ほど強いものはありませんね。
和菓子のことを知らなかったからこそ、ちょっとしたことが新鮮で面白かったです。和菓子に興味が湧くと今度はそれを盛り付けるお皿に興味が湧いて、お皿に興味が湧くと今度はお茶に興味が湧いて、お茶に興味が湧くと今度は茶道に興味が湧く。このように、和菓子をきっかけに、いろいろな興味の種が花開いていくんです。こういったことを皆さんにも伝えていくことで、日本の良さを知ってもらうきっかけになれたらと思っています。
「奥さん」ではなく、表に立ち伝えていく「女将さん」に。
「女将」を名乗ろうと思ったきっかけは何だったんですか?
京菓子の世界では、一般的には「女将さん」とは言わずに「奥さん」と言われます。京菓子の世界は男社会なので、奥さんがその名の通り奥にいて表にあまり出てこないんです。姑さんの時代も、奥さんがお店に立つことすらあまり良いこととされていなかったようで。でも、私は「伝えたい」という思いがとにかく強かったんですね。本来、うちは取材お断りだったのですが、私は積極的に受けるようにしました。初めのころは、雑誌のインタビューの誌面で紹介される際、肩書を「10代目当主夫人」と書いてもらっていました。でも、「10代目当主夫人」というのは大層に感じます。また自己紹介する際にも言いづらいし、周りの方も呼びづらいですよね。
ところが、京都以外の方は気軽に私のことを「女将さん」と呼ばれましたので、それが誰もが分かりやすく呼びやすいと思い、それからは女将として名刺にも書くようになりました。京菓子の世界ではご法度でしたが、今では、他の京菓子屋さんでも、奥さんではなく女将さんと名乗る方もチラホラ増えてきていますので、間違ってはいなかったかと安心しています。
女将としてどんなお仕事をされているんですか?
京都・名古屋で定期的にセミナーを開催したり、各種団体や企業様からご依頼があれば講演をし、メディアに出るなど広報的な仕事が女将としての表立った仕事です。とはいえ、私の仕事のほとんどは裏方です。企画から営業、自社のスタッフの教育、お客様からのクレームに対する返答のチェック、人員が不足している場合は売り場にも立ちますし、カフェでお皿洗いもします。
配達も集金も行きますし、その時、自分が出来ることはどんなことでもやりますので多岐にわたりますね。