インタビュー

何もわからず飛び込んだ京菓子の世界。
「女将さん」として
京菓子や日本の魅力を伝えていきたい。

創業300年を超える歴史を持つ、京菓子店「笹屋伊織」。老舗の京菓子店として日本の伝統文化を伝えていきながらも、京菓子を使ったアフタヌーンティーをカフェで提供するなど新しい取り組みにもチャレンジしている笹屋伊織において、「女将さん」として日々奮闘する田丸みゆきの人生に迫ります。

証券会社、秘書、中学校の講師、全く異なる業界で「伝える」ことの楽しさに気づく。

証券会社、秘書、中学校の講師、
全く異なる業界で「伝える」ことの楽しさに
気づく。

笹屋伊織の女将になるまではどんなことをしていたんですか?

短大を出た後は、野村證券に就職しました。もともとはCA(キャビンアテンダント)に憧れていたんですが、就職課の先生から「君は人に何かを伝える仕事が向いている」と言われ、証券会社で貯蓄のアドバイスをする仕事を勧められたのがきっかけでした。入社後の新人研修の際、偶然にも元CAさんが担当してくださったんです。何も知らない私に対して社会人としてのマナーや心得を教えてくださいました。憧れのCAさんは、それはそれはとても素敵で、その時、私がなりたかったのは、こんな風に人に伝える仕事だったんだと感じました。野村証券でも、お客様に投資のアドバイスをする投資相談課で4年近く働いた後、幼い頃から父の影響でスキーをしていたこともあって、「スキーのインストラクターになろう」と一大決心。

しかし父に連れ戻されるように大阪へと戻ってきて。それからは、役員秘書や中学校の講師などを経験しました。きちんとしたマナーを身につけ、人前で堂々と話ができる人になりたかった。人に伝えるということは、何よりも自分自身も勉強になります。私自身がそうであったように、伝えることで何かのきっかけを与え、人の役に立てる仕事がしたいと思うようになりました。

そうして、一生結婚はしないかもしれないと思っていた27歳の時に、主人と出会い結婚。京菓子の世界に入りました。

今、笹屋伊織の女将として講演やセミナーでお話する機会をいただいていますが、伝えることの一番の魅力はやはり喜んでもらえたり、感激してもらえたりすることだと思います。私たち日本人は、日本のことを知っているようで知らないことがたくさんあります。

和菓子にも同じことが言えます。和菓子には、食べる意味やその材料を使う思いが込められています。美味しいとか綺麗とかヘルシーとか、それだけじゃなくて、和菓子には「家を守り家族を大切に思う気持ち」や、「健康や長寿を願う気持ち」が込められているんです。こんなに素晴らしい文化なのに、家庭でも学校でも教わる機会はなく、このままでは廃れていってしまうかもしれない。和菓子を通して日本の文化を伝えていく。それが私達、和菓子屋の使命だと思って皆さまにお話をさせていただいています。

結婚を機に、何もわからない京菓子の世界へ。

結婚を機に、何もわからない京菓子の世界へ。

全くの異業種から和菓子の世界に入ることに葛藤はありましたか?

いいえ。主人とは大恋愛の末に結婚したんです。好きになった人の実家が、たまたま老舗の京菓子店だっただけで、私自身、公務員の家庭で育ちましたので、商売のことも和菓子のことも京都のこともわかっていませんでした。そんな状態だったからこそ、思い切って飛び込めたのかもしれません。無知ほど強いものはありませんね。

和菓子のことを知らなかったからこそ、ちょっとしたことが新鮮で面白かったです。和菓子に興味が湧くと今度はそれを盛り付けるお皿に興味が湧いて、お皿に興味が湧くと今度はお茶に興味が湧いて、お茶に興味が湧くと今度は茶道に興味が湧く。このように、和菓子をきっかけに、いろいろな興味の種が花開いていくんです。こういったことを皆さんにも伝えていくことで、日本の良さを知ってもらうきっかけになれたらと思っています。

「奥さん」ではなく、表に立ち伝えていく「女将さん」に。

「女将」を名乗ろうと思ったきっかけは何だったんですか?

京菓子の世界では、一般的には「女将さん」とは言わずに「奥さん」と言われます。京菓子の世界は男社会なので、奥さんがその名の通り奥にいて表にあまり出てこないんです。姑さんの時代も、奥さんがお店に立つことすらあまり良いこととされていなかったようで。でも、私は「伝えたい」という思いがとにかく強かったんですね。本来、うちは取材お断りだったのですが、私は積極的に受けるようにしました。初めのころは、雑誌のインタビューの誌面で紹介される際、肩書を「10代目当主夫人」と書いてもらっていました。でも、「10代目当主夫人」というのは大層に感じます。また自己紹介する際にも言いづらいし、周りの方も呼びづらいですよね。

ところが、京都以外の方は気軽に私のことを「女将さん」と呼ばれましたので、それが誰もが分かりやすく呼びやすいと思い、それからは女将として名刺にも書くようになりました。京菓子の世界ではご法度でしたが、今では、他の京菓子屋さんでも、奥さんではなく女将さんと名乗る方もチラホラ増えてきていますので、間違ってはいなかったかと安心しています。

女将としてどんなお仕事をされているんですか?

京都・名古屋で定期的にセミナーを開催したり、各種団体や企業様からご依頼があれば講演をし、メディアに出るなど広報的な仕事が女将としての表立った仕事です。とはいえ、私の仕事のほとんどは裏方です。企画から営業、自社のスタッフの教育、お客様からのクレームに対する返答のチェック、人員が不足している場合は売り場にも立ちますし、カフェでお皿洗いもします。

配達も集金も行きますし、その時、自分が出来ることはどんなことでもやりますので多岐にわたりますね。

京菓子の写真 京菓子の写真
決断するのは主人。ご縁を大切にするのが笹屋伊織のポリシー。

決断するのは主人。
ご縁を大切にするのが笹屋伊織のポリシー。

さまざまな新しい取り組みをしていますが元々チャレンジがお好きなんですか?

女将として色々なメディアに取り上げていただいてからは、「笹屋伊織の女将はやり手だ」といったイメージを持っていただくことも増えたんですが、実際は私が決断しているわけではなく、主人が決断して新しいチャレンジがスタートするんです。どちらかというと私は心配性で、なかなか決心がつかないタイプなんですが、主人は「どうせやるなら一番にやりたい」、「誰かの真似をするのは嫌い」といった負けず嫌いの性格で、私が新規出店などのご依頼を受けて悩んでいる時は「せっかくうちに持ってきてくださったお話はお断りしてはダメ。」と発破をかけられます。

ホテルでの出店のご依頼をいただいた時もそうでした。笹屋伊織の本店とも距離が近く、またコロナ禍だったため大規模な店舗を出店することに不安がありました。でも、主人は他がコロナ禍での出店に二の足を踏む中で「こんなチャンスは滅多にこないから」と出店を決意。こうして60坪という大型店舗「笹屋伊織 別邸」が誕生することになりました。もちろん、これまでに失敗した取り組みもなかったわけではありません。でも、主人は失敗よりも成功体験を覚えているタイプで、私とは本当に真逆なんです。決断して資金繰りを考えた後、コンセプトづくりやメニューづくり、スタッフ教育などの運営は私に任されます。

笹屋伊織 別邸では、京菓子による「和のアフタヌーンティー」がご好評をいただいています。これは、本店との距離も近かったため、本店とは異なる魅力を持つお店にしたかったこと、さらにホテルという立地からお客さまにゆったりと寛いでいただけるプレミアムなお店にしたかったことがアイディアの始まりです。

それまで、アフタヌーンティーで一部だけ和菓子を提供しているお店はありましたが、アフタヌーンティーに欠かせないサンドウィッチは、もちどらサンドにするなど、最初から最後まで京菓子を楽しめるアフタヌーンティーを提供しているお店は、うちが初めてです。また、規制の多い一般的なアフタヌーンティーとは違い、予約不要で営業時間中は、お一人様でも楽しめるようにしました。うちは、和菓子屋ですからいつでもお菓子を御用意することが可能だという強みを活かしたのです。

また、私たちのアフタヌーンティーは竹製のティースタンドで提供しています。これは、京都にある老舗の竹細工店とのお付き合いから生まれたものです。五代目のご主人とは普段から懇意にさせていただているのですが、2020年1月、その竹細工店が不運なことに火災に見舞われてしまったんです。何百年と大事にされていた銘竹や工場、ご自宅までも全焼してしまい、さらにコロナ禍とも重なって大変なご苦労をされました。「どうにか力になりたい」と思っていたところ、京都府が伝統産業を守るために交付している補助金の存在を知ります。「これだ」と思い、ちょうど提供方法を考えていたアフタヌーンティーのスタンドを竹でつくってもらうことに決め、竹細工店のご主人に依頼をさせていただきました。

こうして誕生したのが、他ではなかなかお目にかかれない竹製のティースタンドです。竹細工店の持つ伝統技術をお客さまに伝えることができ、私たちも京菓子のアフタヌーンティーの魅力をさらに伝えることができる。お互いにとって有難い機会となりました。

和菓子づくりを通して、後世に伝えられることはたくさんある。

和菓子づくりを通して、
後世に伝えられることはたくさんある。

日本の伝統文化を後世へと伝えていくためにしていることはありますか?

コロナ前は、毎年、近隣の小学校から依頼を受け、社会科の授業として2時間をかけて、和菓子の歴史を紹介し、職人さんが和菓子をつくっている姿を見せて、最後は実際に自分でつくって食べるところまで取り組む授業を行っていました。

みんな頑張ってつくるんですが、上手くできる子と出来ない子が出てくるんです。スポーツが苦手で、ちょっと引っ込み思案な子がすごく上手につくったり、反対にスポーツ万能で勉強もできて、いわゆるガキ大将みたいな子が全然上手くつくれなかったり。和菓子作りの体験が終わった後、上手く作れなかったその子が悔しくて泣いちゃったんです。職人さんが「かわいそうだから来年は簡単な和菓子に変えましょうか?」と心配したのですが、私は自分ができないことを知るのはとても良い学びだと思ったのでそのままでいいと伝えました。他のことは苦手でも和菓子づくりが上手だった子は、周りの子たちから見直されて嬉しそうにはにかんでいました。失敗も成功も、そういった体験は大切ですよね。

他にも、ある女の子が体験授業中に急に椅子の上に正座したんです。「どうしたの?」と聞くと、「こんな風に和菓子をつくって自分で淹れたお茶と一緒に食べるんだと思ったら正座しなきゃいけないと思ったの」って。私たち大人がアレコレ言わなくても、子どもたちにはきちんと伝わっているんだと感動しました。

また、あるクラスに発達障害を持つ子がいて、その親御さんが「うちの子はあんこが嫌いで投げつけてしまうかもしれないから休ませた方がいいかもしれません」と悩んでいらっしゃいました。でも、私は「投げつけてもらって構わないからぜひ参加してほしい」と伝えました。体験の日、その子は一生懸命自分でつくったあんこが入った生菓子をペロリと食べたんです。体験授業の後に親御さんから「あの後も餡の入った和菓子を食べられるようになりました」とご連絡をいただいてすごく嬉しかったです。こういった学びは、日本の教育に欠けている部分でもあると思うので、忙しくてなかなか多くはできませんが、これからも機会があったら取り組んでいけたらと思っています。

やるべきことをやれば良い風が吹く。この先も、笹屋伊織という宝を守っていくために。

やるべきことをやれば良い風が吹く。
この先も、笹屋伊織という宝を守っていくために。

今後の目標を教えてください。

実は、私自身「これ」といった目標はないんです。本当は海外出店や上場といった目標を持つべきなのかもしれませんが、私はとにかく皆さんが幸せになってくれたら良いと思っています。働いてくれている従業員さんにも誇りと幸せを感じてもらいたいですね。それと、笹屋伊織はご先祖様から預からせていただいている大切なお店です。そして、日本の財産であると思っています。そんな宝物を、50年後100年後にもしっかりと伝えて残していく決意です。

笹屋伊織にお嫁に来て、早いもので30年が経ちます。今、カフェができたり東京にもお店ができたり、女将としてセミナーや講演をしたりしていますが、最初からこんな未来を描いていたわけではありません。とにかく目の前のことに精一杯取り組んできた結果、笹屋伊織の今があります。それができていたら良い風が吹いて、ふさわしい場所に着地することができる。私はそう信じています。

また、出店のご依頼をいただけるのは、さまざまなお誘いを断らずに挑戦してきたからこそ、皆さまから信頼をいただいているのだと思います。「老舗だからやらない」ではなく、老舗という壁を取っ払い、売上で貢献して信頼していただいた恩返しをしたいですね。

笹屋伊織の使命は、和菓子・京菓子という文化を継承して、食べる意味を伝えていくこと。そのためには職人さんを育てていかなければなりません。今は、昔と違ってずっと1つの会社で働くことは少なくなってきています。そういう意味でも、会社としての課題や改善すべきことはまだまだたくさんあります。これまでも、これからも、一つひとつに対して日々一生懸命に取り組んでいくことで、その使命を達成することができたらと思います。